Tuesday, May 02, 2017

ひとりツールド国東 宇佐入りまで

帰路で油断していたらナビに犬鳴峠に連れて行かれるというイベントがありました。なんとか完走。

走行距離は400kmを予定していました。4月29日23時ごろ出発して、4月30日の23時ごろ帰宅でした。だいたい予定通り。帰路で犬鳴峠が無しだと、獲得標高は下がって走行距離が伸びて400kmぐらいだったと思います。

 久しぶりに通ったら、雑餉隈の開かずの踏切に歩道橋がかかってました。何年ぶりだろう。陸橋しか通らないもんなあ。
 山家手前で写真を取るお約束。冷水峠へ向かう前で、この高架を超えたら引き上げが難しくなるので最終チェックがてらに写真を撮ります。忘れ物にも気がつくこと有り。
 秋峰を通過して冷水峠へ向かいます。
 淡々と上り。23時出発だと、登っても下っても暗い状態です。
 24時間営業のうどん屋で補給しようかと思うもののスルー。
 コンビニ補給。ナナコがあるのでセブンイレブンだけで補給するのが簡単ですが、腹具合もよろしくない感じだったのでこまめに休憩することにしていました。そもそも、23時出発だと睡眠不足気味での走行になることが確定していたのです。疲れたらどこかで仮眠する予定でした。
 みやけ町あたり。丸亀でうどん、出雲そばもあるのでいつか食べに来たいんですが、なかなか営業時間に来ることができません。
 メモ代わりの標識撮影のはずが文字が判別できないという。駅だった?
 中津城を見る予定はありませんでしたが、ついつい寄ってしまうという。
 冷水峠を超えて汗をかいて、平坦になって汗冷えします。温かい飲み物を買おうとおもっていたら……無い。福岡県東部~大分はもう初夏ぐらいだったのです(偏見)。

しょうがなく、「か、果糖を取るか……」と、フルーツ系を飲んだような記憶があります。
 しかし、体が冷えて途方に暮れて駅によると
 日豊本戦の鉄道唱歌がありました。
 振り返ると駅の中にも自販機があったのです。そして、あったかい飲み物が売られていたという(白目)。
 てれてれと走行して中津城。ひとりツールド国東に向かうたびに、メカトラだのパンクだのが発生して途中で撤退していたので、リアタイヤをシュワルベマラソンにしていました。フラッシュを焚くとタイヤサイドの反射テープが光ります。

さすがにシュワルベマラソンだと、エクテンザのRR2LLに比べても走りは重いです。辛い。しかし、パンクのおそれは減りました。夜の走行でも安全度が高まるのです。




 あいかわらず「あれ、いま福岡県だったっけ、大分県だっけ?」となやむ中津城。中津という答えそのものの名前があっても分からなくなるという。仮眠をいれるタイミングでしたが、寝る場所がないという。
 福沢諭吉生家近く。よくよく考えると、福沢諭吉が生まれた場所が福岡県だったら、福岡の郷土の偉人として小学校とかでも猛プッシュされているはずだから、ここは大分で福沢諭吉の生家も大分のはずだ! という名推理。

寝た方がいいなと思っていました。


 夜が明けてきました。
 南下していったら、ダイハツの工場があるなあと思っていたの図。
定食屋で食事と仮眠でもと思っていたものの、早朝だと定食屋さんは営業していませんでした。仮眠を取るアテが宇佐にさったので走行を継続して宇佐入りします。こんかいはのよりん探訪は無し。