Sunday, September 26, 2004

デスノートコラージュと、コラージュを作った方々にありがとう

デスノートのコラージュ作品、
そして、それを作った人たちに。

デスノートのコラージュは、コラというものは、
アダルトなアイコラしか無いと思っていた自分に、
そうじゃないってことを教えてくれました。

コラージュという手法が、芸術の一表現方法として
存在することは知っていました。しかし、モナリザに扮した
おっさんとか、万札を拡大コピーして自分の顔を肖像
の部分に貼り付けたおっさんとか、一発ネタでしかない
という理解の仕方をしていました。

コラージュは,いくつかの素材を合成して作られる。
素材二つをばらしてくっつけてニコイチ、三つばらして
くっつけてサンコイチ。

そのばらしてくっつけた元の素材すべてを知っていないと、
できたものも楽しめない表現方法であり、どうしても
「みんなが知っている素材」「メジャーなもの」
「あるいは、ある集団ないで、よく知られたもの」
を、ばらしてくっつけて、その素材の選択を評しておしまいに
なるんじゃないのか、そう思っていました。ばらした素材同士
の最大公約数を探すだけの、単なるパズルに過ぎない。

それに、コラと言えばアイコラ。エロ画像。アダルト。エロ。
それが、コラージュという言葉に対するイメージでした。


ある週末の日、自宅サーバで運営されていたアップロード板
の転送量が異様に跳ね上がりました。自宅サーバに対して、
外部からアクセスが非常にしにくくもなっていました。
「ああ、また早売りジャンプをスキャンしたファイル
がアップロードされたんだな」

集英社が毎週発行しているコミック雑誌、週刊少年ジャンプ。
そのジャンプをスキャンしたもの、いわゆるジャンプスキャン
のアップロードは、水曜から週末に掛けてのアップロード板の
恒例行事でした。IPで規制しても、動的IPや、よく出来た
Proxyの前には、まったく意味がありません。
ジャンプスキャンがアップロードされてからの十数時間は、
アクセスが集中して、外部に公開している自宅サーバに対して
の反応が非常に鈍くなります。

その週末も、ジャンプスキャンがアップロードされたのだろうと、
確認のためにサーバにアクセスしようとしました。
けれど、外部、プロキシを通しての反応は極めて重く、確認に
時間が掛かりそうでした。仕方がないので、サーバ機に対して
ローカルからアクセスしてチェックを試みます。
プロキシを通さず、直接アクセスするのは、地域IP網の
混雑などに影響されず、速いアクセスが可能です。
その反面、外部から見たサーバの状況が分からない欠点があります。

案の定、アップロード板の2の方には、ジャンプスキャン
がアップロードされています。すぐに削除しました。

これでアクセスが重いのも回復する。
サーバが重くなるのは、また来週の出来事。
また来週、ジャンプスキャンが上げられない限りは大丈夫。
そう思っていました。

しかし、その日は違ったのです。
いつまでたっても、サーバに対するアクセスが減らないのです。
ルータをLinux化して、ルーティングのみなら数万アクセスを
同時に捌けるようにしていたのですが、サーバの反応は鈍い
ままです。

それどころか、外部からならまだしも、内部からの自宅サーバ
機に対してのローカルアクセスまでもが、反応が鈍くなってい
るのです。

外部から見れば、
「あのクソアップローダが重いのはいつものこと」
だったのですが、内部から見たら、全然違っていました。
総データ転送量しか見ていなかったアクセスログのファイルを
解析ツールを通して見てみました。まずは、サイズの大きい
ファイルをアップロードできる、アップロード板2のログ
を見ます。

たしかに、ジャンプスキャンは多くのアクセスを集めていました。
が、すでに消されています。サーバが重い、しかも、ローカル
ネットワーク内でも重いことの説明にはなりません。
また、ログを見る限りでは、ジャンプスキャンよりもアクセス
の多いファイルはありませんでした。じゃあ、いったい原因は?

ハードウェアのトラブルをおそれつつ、
首を傾げながら、軽量のファイルを受け付けている
アップロード板(1)のログを見ます。すぐにわかりました。
ジャンプスキャンよりも多く、アダルト画像よりも多く、
突出してアクセスを集めるファイルがあったのです。

そのファイルは、デスノートのコラージュでした。
ジャンプに連載されているDEATHNOTEの画像を使用し、
2chを題材にしたコラージュ作品の画像ファイル。
ファイルサイズとしては、1MBにも満たないファイルが、
いままでに無い数のアクセスを招き、サーバ機に
物理的な悲鳴をあげさせていたのです。
具体的には、HITACHI-IBMのHDDの異様なシーク音と
アクセス音を。カリカリコリコリヴォーン(繰り返し)
という感じで。

自宅サーバ機の上で走るサーバソフトは、一日ごとに
ログファイルを固めて書き出すように設定していました。
ただ、その時は、アクセス集中により、そのログファイル
のサイズが、サーバの物理的なメモリ搭載容量を超え、
HDDのスワップ領域にはみ出していたようなのです。

アップローダは、ライトノベル(板)用を唄っていました。
ジャンプ、というか集英社は、スーパーダッシュ文庫、
コバルト文庫という少年・少女向けのライトノベルレーベル
を擁し、また、直接的には、「読むジャンプ」という
大ゴケ企画はあったものの、新書サイズのジャンプノベル
というレーベルも持っています。

DEATHNOTEの作画の小畑健氏は、とくにジャンプノベルで
イラストを担当されたこともあります。
「ライトノベル(板)に関係ない」を錦の御旗に、
即座にファイルを削除するには抵抗がありました。
まあ、最後は消しましたけど(だめじゃん)。

とは言え、そのファイルのアップロードにより、
一つの画像ファイルにでもアクセスが信じられないほど
集中することがわかりました。

ログを調べると、その一ファイルだけでなく、デスノート
コラージュには、比較的多くのアクセスが集中することが
判明しました。デスノートのコラージュなので、基本は
すべて小畑絵です。
それらすべてを消すのには、やはり心理的な葛藤があります。
そこで、別にサーバを用意して、デスノートコラージュ専用の
アップロード板を作ろうということになりました。

苦しくも楽しい三ヶ月のはじまりです。

最初は無料サーバを探していました。
でも、2chのレンタルサーバ板を見ても、予想されるアクセス
を許してくれそうなサーバはありませんでした。
たまたまアカウントを持ち、広告免除をしていた
xreaの領域があったので、最初はxreaに画像掲示板を設置しました。

が、一日に許された転送量1GBなんてものは即座に突破し、
数日で、一日の転送量が20GBを越えるようになりました。
そのあたりで、アカウント停止よりも先に、xreaのサーバが
エラーを返して反応しなくなりました。
その時点では、まだよくわかっていませんでしたが、
すでに、デスノートコラージュの火は燃え上がっていたのです。

後に、googleで、アクセスが集中したファイルのURLを
検索すると状況がわかりました。かつてアップローダに貼り付けられ、
サーバに物理的な悲鳴を上げさせるまでにアクセスの集中したファイルは、
2chのアクセスの多い板のほぼ全部にURLを貼り付けられていたのです。

そのコラージュを見て、コラージュを知った人たちが、
またコラージュを知った幾人かの人たちが、
新たにコラージュを作成しだしており、
デスノ板(仮)を閲覧し、コラージュを作成し、
アップロードするという拡大再生産の途上にあったのです。
時は、おりしも、夏休み期間でした。


あとは、さくらインターネットへの移転、アクセスの増大、
その量的増大にともなう質的変化、そして、デスノ板(仮)
の消滅となります。

わずか数ヶ月の間でしたが、デスノートのコラージュ
をいくつも見させてもらい、コラージュという言葉に対して
持っているイメージは、大きくかわりました。
吹き出しに詰め込む台詞の推敲、画像の処理の奥深さ、
最初の素材を選別するひらめき。
さらに、素材の元ネタを知らずとも、
単独で楽しむことが出来る作品の存在。

コラージュ=一発ネタ、最大公約数探しのパズル。
コラ=アイコラ。
そういった脳内の連想、思いこみは、見せる、読ませる、
唸らせるといった作品群に接することで、しだいに
壊れていきました。今では、コラと言えば、デスノート
コラージュを一番に連想するようにまでなっています。

残念ながら、掲示板機能付きのデスノ板(仮)は、
管理を続けることが困難と判断したため、機能を停止、
掲示板機能無しのアップロード板を用意するだけになりました。

それでも、コラージュという言葉に対するスレテレオタイプな、
イメージや思いこみ等を払拭してくれた、デスノートコラージュと、
その作者さんたちに、あらためてお礼を言います。
ありがとうございました。

願わくば、私が、コラージュという言葉に対して持っていたのと
同じ、ある種のマイナスの連想を、ライトノベルという言葉に対
して持っている人たちが、良いライトノベルに巡り会い、
脳内から打ち消してくれることを祈っています。
私が、デスノートのコラージュに巡り会い、そうなったように。

長文を読んでいただき、ありがとうございました。

最後に、おすすめのライトノベルを数冊ほど。
ブラッドジャケット
蓬莱学園の初恋! 富士見ファンタジア文庫
風よ。龍に届いているか〈上〉
風よ。龍に届いているか〈下〉