Wednesday, June 01, 2011

クロスバイクにエンドバーを付けた翌日

祖母が危篤に。エンド婆か。

あ、でも、ショートリーチのエンドバーなので、エンド婆をショートするということは生きるということなのか。病院のベッドで横たわる祖母の心拍数を見て、まだ行けるハートレートだなと、生存でなく、自転車で坂が登れるという意味での。

なかなかに混乱しています。

追記 6月1日17時52分に亡くなりました。

死ぬ前 中日和 - Google 検索
中原中也 亡弟
私は喜んだ。しかしほんとだらうか。だがやつぱり不治なぞといふことはないだらうと、私は猶一縷
いちる
の望みは消さないで持つてゐたことに、誇りをさへ感じた。秋の日を受けた、弟の部屋の縁側は明るく、痩せ細つた足に足袋を穿いて、机に向つてゐる弟の姿が、庭の松の木や青空なぞと一緒に見えた。
『あれが中日和といふものだつたのでせう』と母は、埋葬を終へた日の宵、私達四人の兄弟がゐる所で云つた。
『中日和つて何』と、せきこんで末の弟は訊いた。
『死ぬ前に、たいがいその一寸前には、気持のいい日があるものなんです。それを中日和。』
中日和があったことは幸いでした。痰吸引のあとに危ない感じになって、再度、痰吸引をして、ああ、けっこう大物の痰が取れたなと吸引具を見ているうちに、看護士さんの動きがあわただしくなりました。最後はおそらく呼吸がつまっていたのでしょう。診断書には心不全と。苦しんでいる感じはありませんでした。すっと行ったような。