Sunday, July 16, 2006

ゲド戦記の映画を見に行こうかと思っていたもののー

Yahoo!ムービー - ゲド戦記

たいへんに評価が芳しくないようすです。ちゅうか、もともとの見所を外しているのでしょうがないと思います。もともとの見所というのは、原作のゲド戦記でル・グィンが訴えたかったところではありません。

いまもって(いろいろと)変わらない宮崎駿の部分と、若い(当時、騙されていたことに気がついていないと思っているらしい「このアーシュラって長いからペンネーム表記から削っていいっすか?」時代)頃のル・グィンの原作とのタッグ、対して、いわゆるフェミが入って過去を断罪するか忘れたいかしているル・グィンおばあちゃん、いや、ルグィン婆との相容れなさとか温度差からおきる自然な対流が見所だったと思うのです。

仮に宮崎駿が総監督をつとめて、映画のパイロット版をル・グィンと一緒に見た場合、原作ブッチギリで、あまりに単純にボーイミーツガールになってしかもヒロインがツンデレで、日本語のキャッチコピー「見えぬものこそ。」が「ヒロインのパンチラが見えそうで見えない」ぐらいの英訳がなされており、でも脇のところか胸のラインは見えるんだよ的神作画とかそんな感じで、ヒロインは冒頭で悪い竜にさらわれちゃって、主人公である少年の心を持った美中年ゲドが大活躍して助けに行きますよー、ヒロインはトロフィーかイコンぐらいの位置づけですよー。あと、エロス担当だけどジブリだからエッチはあってもエロはなし。そんな隠されたエロス大長編。で、エンドロールが流れる中、隣で映画を鑑賞していたル・グィンが懐からデリンジャーをおもむろに取り出し宮崎駿の脳天に狙いを定める。しかし、宮崎駿は素早く立ち上がり半身に構えて、鉛の入ったステッキを縦に構えて半眼に。その時、ル・グィンは突然、「この初弾でパヤオを仕留められなかった場合、死ぬのは自分である」と理解し硬直して、女か虎か虎眼流か? ってな感じで舞台は暗転していく――

そんな緊張感を味わいたかったのです。要求するヒロイン像に物語を整合させるために、いかにゲド戦記全体を無視してカタにはめていくか。監督が、なんでか宮崎吾朗に変わった時点で、んんーと首をかしげたのですが、テルーをヒロインにします、腕の怪我とかは無かったことにします、手嶌葵(てしまあおい)を声優としても抜擢しますとかの所行を見ていると、ああ、これは親子二代にわたるル・グィンへの復讐譚なのかーと期待するようになって、ああ、見に行こう、見にいかなくちゃ、でもできればヒロインとの出会いで二巻のテナーメインで映画化してほしかった、あるいは、主人公のゲドを女にして一巻、いや、それじゃいくらなんでもまずそうなので、ル・グィンに配慮して、少年ゲドの影を少女化して影=少女ゲドにして一巻部分を映画化でヒロインいな問題もばっちり解決ですやん!(ぜんぜんダメだ)

と、さまざまな考えが脳裏に浮かんでは消えしていましたが、なんか、ぜんぶダメなっていたようです。原作との比較とかじゃなくて、脚本的、演出とかの基礎的なところで。ああ。

でも、見に行こうとか思っているのです。しかし、映画化するなら「名前の掟」の短編とかで修行させてからやればよかったのに。一巻から映画化しないなら、ゲド戦記の舞台世界における、真の名前の重要性を大作の前に短編で認識させておくというのはありと思いました。次は懲りずに、惑星カレスの魔女を映画化してほすぃ。