Saturday, December 14, 2013

福岡ラーメンショーで、鹿児島チャーシューの独自発展振りを知る


  福岡ラーメンショー - Google 検索
行ってきました。一杯750円。ありなのか? 迷っていましたが、確かめたいことがあったのです。それは、「もしかして、鹿児島のチャーシューは、薩摩内部で殺す勢いで競い合ってとんでもないレベルになっているのではないか?」そんなしょうもない疑問を解決したかったのです。

ranobe.com: 桜島でマグマラーメン
このとく、桜島を一周したさいに食べたラーメン自体は、そう美味というわけではありませんでした。しかし、のっていたチャーシューが素晴らしかった。かといって、チャーシューがそこまで推されているわけではなかった。あくまでも、桜島ということと、マグマっぽい塊にチャーシューをまとめてみました。味に関して美味いとかスゲーとかを推していたわけではなかったのです。


 そして、金斗雲(きんとうん)いう、新しいラーメン屋が鹿児島からラーメンショーにやってくるという話を聞いて、疑問を解決に行ったのです。
 野菜マシが100円で、850円ナリ。
 チャーシュー。

これがまた、極めてレベルが高いチャーシューでした。見てくれは普通。厚さも薄め。味は大上等。

しかし、別にチャーシューを推しまくっているわけではありません。「味噌」とか「トッピング! 野菜マシ!」と、あって当然で、別に売りにしているわけではないという感じです。
 確認のために、「肉!」を売りにしている、肉そばの店のラーメンも食べて見ました。
 チャーシュー。丼を覆うぐらいに入っていますが……

残念な味でした。


設備的に全力を出し切れていなかったのかもしれません。会場は、そうそう火力も水も豊富に使えるようではありませんでした。

その中で、金斗雲のチャーシューは素晴らしいできというか、もしかして、鹿児島での普通レベルだったのかもしれませんが、エクレレントだったわけです。トッピングで野菜を入れられることを店員が強調するぐらいなので、ほんとにチャーシューは推してなかったという。おそらく、鹿児島では黒豚を筆頭ならぬ筆豚として、凄い高いレベルの豚肉競争が行われているのでしょう。当地では普通でも、まわりから見ると凄いレベルにある。そよのうな結果かと思って検索すると

かごしま黒豚 - Wikipedia
戦国時代から薩摩国では豚肉を、歩く野菜と呼んで食べられていた。戦国時代において九州統一をほぼ成し遂げた島津氏の底知れぬ強さは織田信長よりも先に鉄砲の実用化を行った事と、豚を生きたまま兵糧として戦場に運んでいた事であり、当時の戦国武将では珍しい肉食集団だった。

1609年、島津氏が琉球侵攻を行った際、琉球の豚を多数連れ帰ってきて薩摩の豚と品種改良した。1639年、日本は鎖国を行うが、薩摩藩はそれ以前から鎖国を行っていた。これは当時肉食がタブー視されていた日本において、「薩摩は琉球を介して明や清と密貿易を行っていた事に加え、豚を日常的に食べていた事を隠すため二重鎖国政策を布いた」と、当時16歳の兵庫県立播磨農業高等学校畜産科の生徒が日本養豚学会誌に寄稿している。

当時の薩摩藩ではシラス台地の影響もあって満足な農業土木が行えず、植え付ける所さえあれば勝手に育つサツマイモと、それを餌にする豚の肉が一般的な食糧であった。薩摩藩の石高は77万石であるが、米の栽培が行われていたのは川内川の流域ぐらいであり、実際はさつまいもと豚肉が石高の大半を占めていた。
どうも、それ以上に古くからの戦いがあったようです。「豚肉=歩く野菜」どういうことなんだ。