祈ることで感情をコントロールする宗教家の話は知っていました。母やそのまわりには信仰に篤い人がいる(いた)ものの、自分はそうではないため、祈りという技は使えません。
ここしばらく、数年での感情コントロールってのはどうやっていたんだろうか? 振り子やジャイロのように、へこんだ場合に心の復元性をもたらす手段はなんだったんだろうかと考えると、どうも自転車、ローラー台なのではないかと思い至りました。禅(野狐禅)的なことになるのかもしれません。ブログ他の投稿もそうかも。
葬儀の後もやることは多く、この先も前途多難です。忙しくしていると忘れていることが、ふっと時間が空くと、ずーんと来たりもします。転ぶことと立ち上がることを学んでいたはずですが忘れてしまったのだろうか、いくつかの転倒での身体のダメージ、もどらないものともどるもの、考えはまとまりません。
とりあえず、数日前に部屋にあるローラー台にのってみると、まったく踏めませんでした。数秒で降りました。翌日は120回ぐらい踏めました。体を動かすことしてみました。その翌日は、105kcal消費しました。ケイデンスもワットもあがらず、ゾンビのようにペダリングをしていましたが、100kcal超えにまで至りました。
経時とともに忘れていく、もしくは受け入れていくことは多いのですが、写真を見れば過去をある程度は思い出します。
(HD) 夜のゆりかもめ
https://www.youtube.com/watch?v=tNka5saiVrc
レイ・ハラカミの音楽を背景にした、夜のゆりかもめ動画を見ながら思い出したのは、かつて、母と家族で、ウエストの立ち食いうどんを食べに行ったことです。別の場所だったかもしれませんが、覚えているのは、味の街の看板です。立ち食いうどんがなかった場合は、ハイスツールの椅子だったかもしれません。
母の葬儀場の道路を渡ったところに、そのウエスト 味の街が以前に存在していました。いまではその場所にウエストはありませんが、道を挟んで向かい側の葬祭場の横に継続してウエストは営業しています。そこで、母の命日にそばセットを食べました。うどん、そば、業務用のだしの基本が変わっていないようで、懐かしい味だったな。あるいは、いま、味の記憶を自分で捏造しているのかもしれないとしても。
家族に母に食事に連れて行ってもらったことを話すと、覚えていませんでした。
斎藤学 (作曲家)
https://www.youtube.com/watch?v=YqDqXmAJ9SI
http://heirinzi.blogspot.jp/2010/12/blog-post_6804.html
月を見ると色々と思い出すようになっているので、ナイトライドの時は月を見ないようにしていました。原因の一つに、38万キロの虚空があったと分かったのはいつだったのか。